ビーがいた日

人生に寂寥あり……こう、つぶやくたびに私は想う。

――ネコを飼いたい。

おっと失礼、ネコに同居していただきたい。

もう30年以上も昔のことだ。

「ええのんが、めっかりましたで」

懇意にしていたアサイ電器のおやっさんが、
細長い襟巻をくしゃくしゃに丸めたような塊を
抱いてあらわれた。

おやっさんの腕の中にいるのは仔猫だった。

淡いブルーグレーに、薄くシマが入っている。
ふわふわの毛なみと真っ青な瞳に、
その場でノックアウトされた。

「てて(父)親がシャムやそうですねん」

ミャーミャーと、かよわく鳴く様も胸をしめつける。
私のみならず、隣で覗きこんでいた祖母の琴線も
思いっきりひっかかれたようだ。

「ほな、もらいまひょか」

「メンタ(メス)でっさかい、
早い目に避妊手術せなあかんのですわ」

電器屋さんはそういうと、大きな鰹節の袋を上がり框に
おいた。仔猫の実家からの結納品だという。

名前は「ビー」になった。

私が優柔不断ぶりというか、
溢れるインテリジェンスを発揮して、
かのプリンセスにふさわしい、
かわいく気高い名をあれこれ考案している間に
祖母がさっさとつけてしまった。

わが家ではビーにネコマンマを与えていた。
ご飯のうえへ持参のオカカはもとより、
だしジャコなんぞを盛大にトッピングする。

これは祖母の確固たる方針によるものだ。

もっとも祖母のみならず、その孫にもキャットフードを与えるという発想はゼロだった。かような食事をビーはおいしそうに食べていたし、丈夫に育っていった。

大学生だったにもかかわらず、
私は珍しいオモチャを手に入れた幼稚園児のごとく、
しょっちゅうビーの後をおいかけていた。

そのうち、ビーも気がむけば
私の後をついてくるようになった。

やがて、私の勉強部屋にも顔を出してくれた。

ステレオのうえに乗っかり、
ライオンみたいに悠然と身体を横たえ、
半身だけ起こして私をみつめる。
その姿は、なかなか堂に入っていた。

冬なんぞは、先にベッドへもぐりこんでいる。
しかも真ん中に。私は寝床の端に身を寄せ、
ツッ、ツッと布団を引っぱった。

「えっ、メスと違うんですか?」

「オスですよ。
睾丸が中に入りこんでますが、立派なオスです。
ほれ、この穂先みたいなのはペニスですよ」

去勢手術をした獣医さんがいった。
祖母は家を訪ねる人ごとにこの珍事を話した。

「豹変ちゅうのは知ってるが、猫変とは」

ビーは狩りの名人で、しばしば獲物をたずさえてきた。実のところ、私はすべからく小動物や小鳥が苦手でならない(なぜか爬虫類や両生類、昆虫のたぐいは平気)。ビーの成果報告を受けるたび、家中に私の絶叫が響きわたるのだった。

「せっかく、もってきてあげたのに」

ビーは決まって、不思議そうな納得のいかなそうな面持ちで、卒倒しかけている私と手土産を交互にみていた――ネズミやスズメの亡骸の処理をしてくれたのは祖母だった。普段と変わらぬ顔つきで、極めて事務的に新聞紙に包んで捨てた。

ビーはよく、長い尻尾をピンと振り立て、リスよりも盛大にふくらませ饒舌に語りながら帰還した。

「どないしたんや?」

「フガフガ、ニャ、フガフガ」

「ふむ、ふむ。それはえらいこっちゃな」

「フガ、ニャ、フガフガ」

これでネコと私のコミュニケーションは立派にとれているのだ。

私はビーを抱きたくなると(無理やり)、彼を胸に押しつけた。ビーも何やら甘えたいときに(こっちの都合を考えもせず)胸に飛び込んできた。

試験勉強の際には、きまって陣中見舞いにきてくれ、いつしかそっと部屋を出ていくという、憎いばかりの心づかいをみせてくれた。

深夜に泥酔して帰ってきたとき、最初に出迎えてくれるのは決まってヤツだった。

祖母とも気はあうようで、ビーはよく炊事をする彼女の隣にちょこなんと座っていた。

ネコと人間、お互いにけっこう仲よく、それでいてベタベタせずに共同生活していた――。

大人になったビーは、何度か外泊するようになり、しばらくして忽然と姿を消してしまった。近所で見たとか、連れ去られたという話も舞い込んできたが、結局、戻らなかった。

いま、私は原稿の手がとまったとき、ここにビーが帰ってきてくれたらなあ、と思う。その願いがけっこう切実だったりして、苦笑することもある。

「ビーでなければゴンでもいいんだけど、いや、やっぱビーだな。うん、ビーでなきゃ」

なんて、独り言をいっている。

(あっ、ゴンもわが家にいた、気のいいヒマラヤンの雑種です。私がうんうん唸って名を考えている間に、またも祖母があっさり「ゴン」とつけてしまった)

ビーの失踪で浮かぬ顔の私に祖母はいった。

「ま、男の子やさかいにな。あの子なりの事情があるんやろ。かわいい子は、勝手に旅にでよる」

それでも、祖母はかなり長い間ビーの茶碗をしまったりしなかった。

私が上京し、祖母と離れて暮らすようになったのはその2年後のことだ。

彼女は、自分が育てた孫が大阪を後にするときも、ただ黙ってうなずくだけだった。